【神戸邂逅】登山家・重廣恒夫さん#1 標高8600mで現れた花々

【神戸邂逅】登山家・重廣恒夫さん#1 標高8600mで現れた花々

連載企画【神戸邂逅】とは

koubekaikou神戸およびその周辺地域にて、大資本が集まる東京とは一線を画すような取り組みを行う人に焦点をあてたインタビュー企画。邂逅とは偶然めぐりあうという意味。思いもよらなかった神戸の魅力に出会えるかも。


本企画第4弾としてご紹介させていただくのは、株式会社アシックス(本社:神戸市中央区)で勤務しながら、これまで13度、ヒマラヤへ挑戦してきた重廣恒夫さん。標高約8000m、生命の気配すら感じられない荒涼とした峰々に対しどんな心持ちで向き合ってきたのか、お話を伺ってきました。


21年ぶりのヒマラヤへ

油断をすれば痛い目をみる。仕事であれそうだ。ちょっとした気の緩みが招いたミスによって、関係先に頭を下げることになったり、時にはそれなりの額の損失を会社にもたらすこともある。

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一方で、わずかな油断が死に直結する世界がある。山登りのことだ。山登りでのミスと仕事でのミス。因果応報という言葉があるが、同じ油断にしては前者の代償は大きすぎる。

今回はそんな過酷な世界、ヒマラヤへ幾度も挑戦してきた重廣恒夫さんにインタビューを行った。

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重廣恒夫氏

アシックスアウトドアマイスター
日本山岳会 副会長
日本トレッキング協会 常任理事

山への関心のきっかけは小学生の頃熱中した昆虫採集。
人類最初の
アンナプルナⅠ峰(8091m)登頂を
達成したフランス隊の報告書を読み、
ヒマラヤ挑戦を中学2年のときに夢見る。

*過去の登山歴(海外)
1973年ネパール、エベレスト南西壁最高到達点8380m(当時)まで登攀
1976年インド、ナンダ・デヴィ東峰(7434m)第21977年パキスタン、K2(8611m)南東稜2登(日本人初)
1979年パキスタン、ラトックⅠ峰(7145m)南壁初登頂
1980年チベット、チョモランマ(8848m)北壁初登攀
1984年ネパール、カンチェンジュンガ南峰(8491m)~中央峰(8478m1985年パキスタン、マッシャブルム(7821m)北稜~北西壁初登攀、ブロードピーク(8047m)登頂
1988年チベット、チョモランマ(8848m)交差縦走
1990年チベット、ナムチャ・バルワ(7782m)偵察
1991年チベット、ナイプン峰(7043m)第21992年チベット、ナムチャ・バルワ峰(初登頂の指揮)
1995年チベット、マカル―(8463m)東陵(初登攀の指揮)
2016年チベット、ナンガマリⅡ峰(6209m)初登頂

img_1122昨秋、1995年のマカル―以来21年ぶりにヒマラヤへ。未踏峰ナンガマリⅡ峰6209m)登頂を果たした

img_1160ナンガマリ挑戦は、日本山岳会関西支部設立80周年記念ならびに、次世代へ登山技術を伝えるために行われた。写真後方はナンガマリⅡ峰(6209m)、標高5800m地点のキャンプ2にて撮影

頂上はゴールじゃない

21年ぶり、そして69歳でのヒマラヤへの挑戦、ご自身の体力的な変化やヒマラヤ自体に変化は感じましたか。

「まず、年齢だけはやはり抗えないですね。筋力や敏捷性などは年を取るたびに落ち込みが激しくなります。ただ、山自体の変化というと、難しいですね。基本的にどんな山も、一刻一秒として同じ姿をしていないんです。例えば、急な天候不良や雪崩の発生、見える景色だって異なります。だから、21年ぶりのヒマラヤの変化は感じましたが、2日後に登っても変化は感じるものなんです。それが自然です」

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1980年にチョモランマ登頂(北壁ルートでは世界初登攀)を果たした瞬間は、どんな気持ちになりましたか。

「喜びを爆発させたりはできませんでした。マラソンであれば、ゴールした時点で力尽きて倒れようが誰かが介抱してくれます。一方で、山の頂からは誰も連れて帰ってはくれません。しかも、8000mという場所は、そこにいるだけで死と隣り合わせなんです。だから、どれだけ長くても15分以内には下山しますね」

※(注釈)標高8000m地点では、酸素濃度は地上の1/3。デスゾーンと呼ばれる。自分ひとりの生命維持だけでも精一杯な状況で、誰かを担いでおろすということは、物理的に困難であり、無理をすると二次遭難の危険性も高まる。それは遺体であっても同様。エベレストには、いまも100体以上の遺体が放置されている。

―生きて帰るためには、登頂を喜んでばかりはいられないんですね。

「だから、山の頂上はゴールではまったくありません。登頂するまでに全力を使い果たしてしまってはいけないわけです。事故は、下山中に起きますから。これまでヒマラヤへは13回、合わせて400名の方々と挑戦してきましたが、そのうちの数十名は亡くなっています。自然というのはそんなに優しいものではないんです」

―その自然について、憎らしいと思ったことはありませんか。

「そんなことは一度も思ったことはありません。どうして自然を憎らしいと感じると思われるのでしょうか」

―大切な仲間を失ったのは、自然による力なのだと思うのですが。

「こう言うと辛辣に聞こえるかもしれませんが、遭難するのには遭難するなりの理由が、やはり人間の側にあるんです。自らの体力や技術の過信、装備不足もそのひとつです。人間には正常性バイアスという“自分だけは大丈夫だ”と思ってしまう脳の危険なメカニズムがあり、山の世界ではそういうちょっとした油断が生死に直結してしまうんです」

8600mで現れた花々やチョウチョ、死への誘い

―他のスポーツは油断をすれば単に負けますが、登山は同じ油断でも、自らの命を落とす危険性がある。自然の厳しさをひしひしと感じます。

「どれだけ科学技術が発展したとしても自然については、正確に予測することができなければ、制御することもできないんです。南海トラフ沿いで大地震がいつかは起きることが分かっていても、何月何日に起きるかまでは予測できない。

だから、“予想以上の雨や雪が降ったから遭難した”とかいう言葉は元来存在しないはずなんです。もともと自然の変化を完璧に予測することなんかできません。だから、登山者は想定外のことが起きることをまず認識しておかなくてはならない。そして、想定外のことが起きたときの対処法をあらかじめシミュレーションしておくべきなんです」

img_1108ナンガマリⅡ峰(6209m)の頂上に向かう一行。後方に聳え立つのはⅠ峰(6547m)

―ご自身では、死に最も近づいた経験というのはこれまでにありましたか。

1980年チョモランマ北壁に挑戦したときでした。登頂に成功したものの下山途中に夜を迎えてしまいビバーク(緊急避難的にテントなしで一夜を過ごすこと)せざるを得ない状況になりました。標高約8600m、気温はマイナス30度、着の身着のままの状態でのビバーク。凍てつく寒さに体を震わせていると、ある光景が脳裏に浮かんできました。花が咲き乱れその上をチョウチョが舞う、春の光景が目の前に現れ、小川のせせらぎまで聞こえてくる。幻覚でした。その世界にどっぷりと浸り続けていれば、おそらくろうそくの火がふっと消えるようにして命を落としていたと思います。何とか現実に自分を引き戻すよう必死に幻覚に抵抗し、無事に朝を迎えることができました」

―壮絶な体験ですね。

「天候に救われました。その夜は風が穏やかだったので。ただ、極寒の日本の山でビバークの練習は何回もしていたし、寒さへの対処法もそれなりに心得ていた。学生時代のときなんかは冬でもタオルケット一枚に裸で寝ていましたから、常に山のことばかり考えていました」

我々に返せるものがあるとすれば、それは感動だけ

―運というのは信じますか。

「運に助けられることももちろんありますが、基本的には運は自分で獲得するものだと思います。それはすなわち、努力や経験を積み重ねていくほかないんです。運や勘というのは、0からは生まれません」

―これまで数々の隊を率いてきた重廣さんですが、隊長の役割について教えていただけますか。 

「登山隊長というと、山の中に入ってからが仕事だと思われる方も多いのですが、山に登る前から仕事は始まっています。登山隊のメンバー編成やルート選定、行程表の策定、食料や装備などの物資調達、登山申請(当該国政府の許可証の入手が必要になる)など、多岐にわたります。ヒト・モノ・カネを調達するという点では、小さな会社を作るようなものかもしれません。大きな登山隊を編成するとなると数億円かかる場合もありますから」

img_0597ナンガマリ挑戦の拠点となったベースキャンプ(4800m)にて、登攀装備をチェックしている様子。日本から運ぶ物資の量は、ときに数十トンにもなることも

―会社であれば利益をあげ、それを出資者に還元することもできそうですが、登山となるとそれは難しいですね。

「支援してくださった方へ、お金であれモノであれ我々には返すものがない。そうなると、やはり我々が出来ることと言えば、彼らに感動を与えるしかないんです。登頂・成功という二文字をいかに獲得するか。しかも、事故がないようにです」


隊長ひとりの判断によって、隊員全員の命運が左右されると言っても過言ではない世界。ただでさえ身体的に負担がかかる状況で、隊長は精神的な重圧、つまり隊員の命を預かる責任も抱えています。次回は、「登山者」と「登山客」の違い、そして”山登りに公式はない”という言葉の真意についてお聞きします。

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次回は7月21日(金)公開予定・全2回

 

仲村 友樹

政治、ビジネス、文学、アート、自然まで色々なことに興味があります。むさぼるように読む本や雑誌からの知識でぼくは成り立っています。ただ、頭でっかちにならないように一応は気をつけているつもりです。
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