【神戸邂逅】元町映画館支配人・林未来さん#1 人生の舵取りは自らの手で

【神戸邂逅】元町映画館支配人・林未来さん#1 人生の舵取りは自らの手で

連載企画【神戸邂逅】とは

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神戸およびその周辺地域にて、大資本が集まる東京とは一線を画すような取り組みを行う人に焦点をあてたインタビュー企画。邂逅とは偶然めぐりあうという意味。思いもよらなかった神戸の魅力に出会えるかも。


本企画第2弾としてご紹介させていただくのは、元町映画館支配人の林未来さん。ミニシアターである元町映画館は、上映作品のラインナップからして他の映画館とは異なります。ただ、気負うことはありません。気さくな支配人と、映画初心者でも思わず訪れてみたくなる企画がみなさんを待っています。


映画発祥の地で

今年で開港150年を迎える神戸港。世界でも有数の港町だった神戸は、輸入品の玄関口と同時に外国文化の入り口でもあった。そのため、いま私たちが当たり前のように接する文化のなかには、神戸が日本発祥の地となっているものも数多く存在する。そのうちのひとつに、映画がある。一時は娯楽の代表的存在として圧倒的な人気を博したが、時流の波に飲まれるにつれ、いつしか「斜陽産業だ」と言われるようになった。

しかし、その流れに逆らう動きが、20108月に神戸で見られた。いまある映画館を何とか存続させていくだけでも難しい時代に、『元町映画館』が産声を上げたのだ。大資本の力によるものではなく、映画をこよなく愛する数人の出資によって生まれたミニシアター。当初は、配給会社からも“こんな時代に新しく映画館なんか作るんですか”と真面目に心配されたという。しかし、こんな時代にオープンするからこそ、『元町映画館』は映画館一般としてカテゴライズできない魅力を自ら作り出している。

motoei_gaikan元町商店街4丁目に位置する『元町映画館』。ミニシアターと聞いて、イメージしがちな玄人っぽい近寄りがたさを、ここは微塵も感じさせない

motoei_jounai劇場の一部は、開館を応援するボランティアの人々とともにDIYで作られた

観るよりもまず何かを撮ってみたかった

そこで、神戸邂逅第二弾目となる今回は、『元町映画館』支配人である林未来氏にお話を伺った。元町映画館の魅力についてはもちろんのこと、普段顧みることのなかった“人はなぜ物語を求めるのか”という興味深い問いについても探っていく。

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林未来氏
『元町映画館』支配人

偶然目にした新聞記事がきっかけで、元町映画館立ち上げに参画。
 “映画は世界に開かれた窓”という自身の言葉が示すように、
映画を起点に様々な分野に関心が拡がるような
イベントをペース良く開催している。

―まず映画との出会いを教えていただけますか。

「大学入学後になるんですけど、8mmフィルムを撮っている友人がいたんです。あれって、取っ手の部分に引き金みたいなものが付いていて、それを引くとカタカタカタって中のフィルムが回りだす仕組みになっていて。その物珍しさに思わず“なにこれー、私にも使わせて”って言ったんです。だけど、カメラを手に取ってはみたものの、何をどう撮ってよいのかが分からなかったんです。それからかなあ、たくさん映画を見るようになったのは。このカメラでなんか撮りたいっていう思いが先にあって、その参考のために映画を見るようになったんです。だから、私の場合は映画自体への興味より、8mmカメラへの興味の方が先でした。

8mmカメラを持っている人って大抵が映画通で、その友人も例に違わずマニアの人でした。だから、その人からいろんな映画を教わったんです。その人の“あの作品は絶対見るべき”という言葉に従って、色々な作品を見ていたらいつの間にかはまっていった感じかなあ」

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―林さんは芸術系の学部に在籍されていたんでしょうか。

「まったく関係のない学部でした。だからその8mmカメラでの撮影もお遊び程度だったんだけど。ただ、大学3年の頃だったかなあ、映画館とまではいかないんだけど、映画の上映スペースが梅田にできたんです。そこで、ボランティアとして運営のお手伝いをしているうちに、映写の仕事を教わりました。そしたら、映写の仕事に、映画を見る以上にドはまりしたんです」

―映画を見る以上に。大学卒業後は映画関係の仕事に就かれたんですか。

「いえ、映画とは関係のない一般事務の仕事に就きました。ただ、その仕事は三か月で辞めちゃったんですけど(笑)」

―それはまたどうしてですか。

「さっき話した大学時代に手伝いをしていた上映スペースの関係者から、通天閣近辺にオープンする映画館での仕事を紹介してもらったんです。そこで晴れて、映写技師として56年働いていました」

―ということは、56年で一旦お辞めになった?好きだった映写の仕事をずっと続けていこうとは思わなかったんでしょうか。

「急に兄が脳出血で倒れ、その影響で映写の仕事を辞めたんです。幸い命は助かったんですけど、当時は兄のことを考え、実家がある西宮市で働きたいと思って。そこで、いくつかの職場を渡り歩いたんですが、一番長くお世話になったのが、西宮地域の情報誌を制作する編集部でした」

無理ならまず自分でやれることを

―ということは、しばらくは映画と距離のある時間を過ごされていたんですね。

「はい。ただそのときも映画への思いが消えたわけではなくて、映画館の求人が出ていないかは時折チェックしていました。ただ、働きたいと思うミニシアター系の映画は元々求人を出していなかったり、同業者同士で人材を融通していたりしていて求人情報が公になることが少なかったんです。また当時(2000年代)は、シネコンの増加に伴い、ミニシアターが次々と閉館に追い込まれていった時期でもありましたから、人を雇う余力が残っていなかったのかもしれません。

とはいえ、ある劇場で映写技師の募集を偶然見かけて電話をかけたことがあったんです。年輩の男性らしき人が電話に出てくれたんですけど、“女の人に映写なんてできへん”って言われて。“いや、私ずっと映写してたし”って思ったんですけど」

―映写が出来る女性人材が少なかったということの裏返しなんでしょうか。そんな煮え切らない思いはどこへいってしまったんでしょう。

「映画館に戻ることは難しいなとは感じつつも、映画を手放したくないという思いは消えないままでした。だったら、まずは自分でできることをやってみようと、『nomade kino』という名義で映画の上映会を西宮市内のカフェとかで開催したんです」

r0014145周囲の環境が変われば、同じ作品でも印象が変わるのかもしれない

img_0879時には野外で上映会を行うことも

―それは編集部で働きながらの活動だったんでしょうか。

「はい、活動開始後は、編集部ではフリー契約として出勤は月の半分程度にしてもらい、もう半分を『nomade kino』の活動に充てました。例えば、上映作品について配給会社さんと渉外を重ねたり、上映場所となるカフェのオーナーさんと企画を考えたりしていました」

―そのふたつの仕事を同時並行することによって良かったと思うことはありましたか。

「地域情報誌の編集だったので、市内の色々なカフェに普段からよく取材しに行っていて、そんなときに“実は私、情報誌の編集以外にも、こんな活動もしているんです”という形で『nomade kino』のことをさらっとオーナーにお伝えしていたんです。そしたら、”うちのカフェでも上映会開いてよ”っていうお誘いを頂いたりして、二足のわらじがいい感じに作用していました」

―本業が副業によい効果を与えたということですね。

「そうですね。ただ、その逆で、副業によって本業が捗ることもありましたよ。上映会とかで出会ったお店のオーナーやお客さんから、一気に人脈みたいなものが広がることがあって。そういった場で知り合った人にインタビューをして、その原稿を本業である情報誌に掲載させてもらうっていうこともありました」

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林さん自作の『nomade kino』上映会のフライヤー。ここでも編集業が、役に立ったとか

自分の思いが向く方へ歩みを進める

―元町映画館に携わるようになったのは、いつごろでしょうか。

「ちょうど地域編集部と『nomade kino』の活動をしていたとき、たまたま新聞で元町映画館が開館に向け準備を進めているという記事を目にしたんです。このチャンスを逃したら、ミニシアターで働けるチャンス、しかも開館前の準備段階から携われる機会は一生こないと思い、すぐさま元町映画館のオーナーに電話しました。“ボランティアでもいいので、手伝わせてください”って。それから直接会って、映写経験があることを伝えたんです。そしたらちょうど劇場の現場運営ができる人を探していたみたいで、“ぜひ一緒に働きましょう”ということになりました。私もその言葉をもらったタイミングで“わかりました。じゃあすぐ仕事辞めてきます”って言ったのを覚えています」

―決断の速さがすごいですね(笑)

「そうかもしれないです(笑)そんな感じで、映画館の工事途中から参加し20108月にオープンを迎えました。最初の2年間は本当に休みなく働いていましたね(笑)」

―もともと瞬間瞬間を大事にする生き方をされてきたんですか。

「そうですね、何かを辞めることにあまり躊躇しないタイプだと思います。のん気なんです。今は安定志向の人たちが多い気がするけど、私は真逆かもしれません。どうにかなる精神(笑)学生時代も就活っぽい就活はしていなくて、とらばーゆ(駅などに置いてある求人情報誌)で決めました。“何とかして生きていけるわ”感があるんです。それには、何の根拠もないんですけどね(笑)」

―そういった即断・即決的な人生選択をされてきて、“あのときこうしていたらよかった”と思った経験はありますか。

「そういえば、私はあまり過去を振り返らないタイプなのかもしれません。それはある面では美徳に見えるかもしれないけど、ある面では“反省をしない”とも言えるのですが。足元と目の前のことしか見ていません、というのかそこまでしか見れないのかも。すごい視界が狭いのかもしれない。今を生きるみたいな(笑)

ただ、さすがに40を超えてくると、老後のことが見えてくる。結婚していないし。もし歳をとって働けなくなったら、だれが私の面倒を見てくれるのだろうとかは最近少し思うようにはなったかな。ただ、そこまででおしまいです。それ以上は考えない。何かに備えるという発想がないかもしれません。それはたぶん恥ずかしいことでもあるんですが」

―元町映画館で働くにあたって、経済的に食べていけるかどうかで不安は感じませんでしたか。

「儲かってないからこそ、前しか見ていなかったんだと思います。がむしゃらに進むしかないと。不安というものが何かにつけ感じないタイプで。言葉は悪いかもしれませんが、映画館もつぶれるときはつぶれるし、人間だって死ぬときは死にます。いざ、そうなったときに、それまでの人生に後悔がないように、とは思っています」

―たしかに。いつ来るかも、あるいは来ないかもしれない未来に身構えすぎていると、自分を縛り付けるだけもしれませんね。

「私は想像力が足りないのかもしれません。自分が体験していないことを想像し難い。老後孤独死とか。当たり前だけど、それはまだ経験したことないんで(笑)心配性の人って、色んなパターンを想像して心配すると思うんですが、私はその想像力が足りない」

―元町映画館の立ちあげメンバーとして歩んでいく道を選んだ林さんですが、何かを選ぶということは、何かを捨てることであるとも言えます。他の選択肢を捨てることへの恐怖感や不安などは感じたことはありませんでしたか。

「人生の選択肢がありすぎると辛いですよね。30歳になるくらいで、これもやりたい、あれもやりたい、とかを一個一個消していったら、すごく楽になれたんです。人生の選択肢が狭まると、“私にはこれしかないから、今後はこれ以外考えなくていい”と思えるようになったんです」


そんな林さんが切り盛りする元町映画館。映画上映終了後に行われる、監督や俳優によるトークイベントによって、観客はより深い作品世界へ引きずり込まれて行きます。

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次回は4月21日(金)公開予定・全3回

仲村 友樹

政治、ビジネス、文学、アート、自然まで色々なことに興味があります。むさぼるように読む本や雑誌からの知識でぼくは成り立っています。ただ、頭でっかちにならないように一応は気をつけているつもりです。
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